旧世界には帝都にアカウント墓地があったが、新世界では作られていなかった。
そこで
じもくじが焼き場と一緒にアカウント墓地を作ることを当時の市長である
ミリたらこに提案、その日のうちに作られた。
具体的な場所については、平野部でなおかつ新帝都からのアクセスが近い所を選定。当時線路しか敷かれていなかった北栄地区が選ばれた。
その後焼き場、葬式場、駅の整備が急速に進み、気が付いたころにはツバクで一番栄えている地区の一つとなり果てた。駅に至っては
北栄墓地駅という有様。
その際に顕著になったのが墓の土地不足。気が付いたころにはあと1列、、、という危機的状況に陥る。そこで手を挙げたのが
六甲と
kinntyann。彼らの手により増築され、今に至る。
2020年5月10日、
DPRJ名建築賞受賞。